会社の入口に、ギャラリーがある ― 企業エントランスで出会う障害者アートと「支援」のかたち

いつもARD(アートオブザラフダイヤモンズ)の活動を温かく応援してくださり、ありがとうございます。アートディレクターの若尾尚美です。

今月は、私たちの活動を継続して応援してくださっているハタノシステムさんの取り組みについてお話しさせてください。

ただ、ご紹介というより、そこから私が考えたことについて書きたいと思います。テーマは「支援とは何だろう」ということです。

本社エントランスの一角が、ギャラリーになる

ハタノシステムさんは、本社エントランスの一角を、障がいのある作家の作品を紹介するギャラリースペースとして開いています。障がいの有無にかかわらず一人ひとりの才能に光を当て、作品が正当に評価される機会をつくること。SDGsへの取り組みの一つとして位置づけていらっしゃいます。

展示の日、作品を運び入れ、展示する作業を一緒にやってくださったのは社員の皆さんでした。

そして作品が並んでいくにつれて、エントランスは受付という場所から、少しずつギャラリーに変わっていきました。同じフロアで働く他の企業の方からも「ギャラリーができて癒やされます」と声を掛けていただきました。

一緒に展示をつくっていく喜びがありました。社員の方が自分ごととして関わっているとわかりました。

支援という言葉の「する側」と「される側」

支援という言葉には、どうしても「する側」と「される側」がついてきます。お金を出す人と、受け取る人。場所を提供する人と、提供される人。

でも、ハタノシステムさんは何かを差し出して終わったわけではなく、社員の方は作品と向き合う時間を持たれた。他社の方は「癒やされる」とおっしゃった。

アーティストの作品は、毎日人が行き交う場所に居場所を得ました。関わった全員が、それぞれ何かを受け取っています。
「支援」という言葉だけではない人の繋がり、血が通っている実感がここにあります。

一方通行の矢印ではなく、「われわれ」になる

これは、6月号で書いた出口康夫先生の「WEターン」の話とつながっているように思います。

すべての行動は一人ではできず、自分を取り巻く他の人やものによって支えられている、という考え方です。

支援というのは、一方通行の矢印ではないのだと思います。作品を真ん中に置いて、そこに関わった人たちが「われわれ」になる。

その「われわれ」の中で何かが動く。ハタノシステムさんのエントランスで起きているのは、そういうことなのではないでしょうか。

もちろん、これも一つの見方にすぎません。現実には資金も場所も必要ですし、「支援していただいている」という事実は変わりません。

ただ、そのことだけを書いてしまうと、あの場所に生まれている関係の豊かさが伝わらないと思うのです。関わる人それぞれが何かを受け取っている、小さな生態系のようなものができています。

会社の入口という、なかなかすごい場所

もう一つ、書いておきたいことがあります。
6月号で私は、障害のある人たちから学ぶことがある、彼らは私たちに気づきを与えてくれる存在だと書きました。

これは私が常々そう思っていることです。
そう考えてみると、会社の入口というのは、なかなかすごい場所です。

美術館やギャラリーは、見ようと思った人が行く場所です。心の準備をして、鑑賞するつもりで入っていく。でも会社の入口は違います。急いでいる人。疲れている人。これから打合わせに向かう人。そういう人の前に、作品のほうから立っているのです。

受け取るつもりのなかった人が、何かを受け取る。学ぼうと構えていなかった人が、ふと立ち止まる。気づきというのは、そういう風景の中にあるものなのかもしれません。

その方は、アーティストの背景をご存じないかもしれません。ただ色がきれいだったから足が止まった。説明を聞く前にまず一枚の絵として心が動いて、そのあとでアーティストのことを知る。そこが良いと思います。

立ち止まる、その数秒の積み重ね

啓発活動という言葉があります。大事な言葉です。でも、あのエントランスで起きているのは、もっと静かなことのように思います。

人が通り過ぎて、一人が数秒立ち止まる。その数秒が、明日も明後日も、そこにある。社会の見方を変えていくのは、そういうものの積み重ねなのかもしれません。

ハタノシステムの皆さま、いつも本当にありがとうございます。一緒に何かをつくっていただいていること。それが私たちにとってもアーティストにとっても、大きな励みになっています。

私たちARDも、ひとりの表現の力が社会を変えていくことを目指して、これからも活動を続けて行きたいと思います。