障害のある人のアートに光を当てる アートディレクターの原点|アートのダイヤの原石を輝かせたい:連載第1回

はじめまして|NPO法人アートオブザラフダイヤモンズ アートディレクターの若尾尚美です

はじめまして。
このエッセイに目を留めてくださり、本当にありがとうございます。

NPO法人アートオブザラフダイヤモンズでアートディレクターを務めております、若尾尚美です。

NPOの活動を通して私のことをご存知の方も、今回初めて知ってくださった方もいらっしゃると思います。まずは簡単に、自己紹介をさせてください。


約30年、ファインアートの現場で培ってきた経験

私はこれまで約30年にわたり、アートの現場で仕事をしてきました。
美術館やギャラリーをはじめ、アーティストマネジメント、オークション業務、展覧会の企画運営、アートフェアへの出展など、いわゆるファインアートの領域で、作品と人をつなぐ仕事に携わってきました。


障害者アートと向き合うようになったきっかけ

2017年からは、このNPO法人アートオブザラフダイヤモンズで、障害のある方が生み出す作品を社会に広く紹介する活動を始めました。

「アートオブザラフダイヤモンズ」という名前には、
“ダイヤの原石のような表現を見つけ、光を当てていく”
そんな願いが込められています。


アートオブザラフダイヤモンズというNPOの活動内容

私たちは、障害のある方が生み出す作品を「福祉の枠」にとどめるのではなく、ひとつのアート表現として社会に提示することを目指しています。

展示や販売、企業とのコラボレーションなどを通じて、作品が正当に評価され、作り手に還元される仕組みづくりに取り組んでいます。


障がい者アートがまだ評価されていなかった時代背景

2017年当時、いまほど「障がい者アート」という分野は広く知られていませんでした。
作品は「障害のある人が描いた絵」として、公民館や市民ギャラリーなどで、簡素に展示されていることが多かったように思います。

ところが近年、「ヘラルボニー」さんをはじめとする団体の活動や、美術館での展示・キュレーションが進み、作品の美術的価値や魅力が、徐々に評価されるようになってきました。


障害のある人の作品価格と価値のギャップ

ご存知の方も多いと思いますが、作品の価格は、主に施設が中心となって決めています。
もちろん、アーティスト本人やご家族と相談しながらのことです。

ただ当時は、「値段を付ける」という発想そのものがまだ薄く、購入希望の方には、数千円、あるいは額代を含めた1万円ほどの「手間賃」という感覚で作品が譲られていました。

私は当初、そうした事情を十分に理解しておらず、
ニューヨークのギャラリー関係者が来日し、1万円ほどで作品を買い取り、現地で10万円以上で販売している――
そんな話を耳にすることもありました。

真偽はともかく、価値の見え方と取引の仕組みには、大きな隔たりがあると感じました。


障害や福祉と無縁だった私が、この分野に関わるまで

この分野に関わる方のなかには、親族や身近なところに障害のある方がいらっしゃるケースも多いように思います。

一方で私は、そうした環境で育ったわけではありません。
施設のことも、障害のある方のことも、ほとんど何も知らなかった――それが正直なところでした。

それでも、私がここまでこの活動に情熱を注いでいるのは、子どもの頃の、ある出会いが原点にあるのかもしれません。


子どもの頃に出会った「ねむの木学園」と宮城まり子さん

(画像出典:https://www.eurasia.co.jp/travel/tour/JCSB/)

私が小学校2、3年生の頃、『ねむの木学園』と、主宰者である女優・宮城まり子さんの存在を初めて知りました。

ねむの木学園では、障害のある子どもたちが絵を描き、楽しそうに過ごしている――
そんなイメージが、当時の私の心に強く残りました。

もっとも、そのとき私は、彼らが「障害のある子どもたち」だと正確に理解していたわけではありません。
子どもなりの想像で、「親のいない子どもたちの施設」など、自分の知っている世界に当てはめて受け取っていたのだと思います。


忘れられなかった、障害のある子どもたちの絵の世界

(画像出典:https://ameblo.jp/tomiko1208/entry-12714767691.html)

その後、当時の親友(いまでも大切な友人です)から、「障害のある子どもたちの学園なんだよ」と聞き、初めて現実として理解しました。

子どもの頃のことなのでお許しいただきたいのですが、「障害のある子どもたち」という存在は、私にとって強い関心の的となりました。
自分の暮らしとは違う世界に生きる、遠い国の人たちのように感じていたのかもしれません。

そして何より、そこで生まれる絵の世界が忘れられませんでした。
私にはとても思いつかない線や色、構図。
「こんな表現があるのだ」と、興味津々で見入っていた記憶があります。


憧れは記憶になり、そして現在につながった

(画像出典:https://yuitabitokurashito.jp/livings/reading/2161/?srsltid=AfmBOopraMtNASskClj2mcK1l6UgN7dHPpgPPt_xJsvF6UqaR8HFyey9)

成長するにつれて、母が美術や福祉に関心の高い人だったこともあり、私は障害や福祉施設、美術について少しずつ知るようになりました。

小学校高学年の頃には、「ねむの木学園で仕事をしたいな」と、漠然と思ったこともあります。
もちろん当時は、施設職員がどのような仕事をするのかも分からず、ただ憧れていただけでした。

子どもの想像力や憧れは、無責任で自分勝手で、だからこそ自由で面白い。
いま振り返ると、少し可笑しくもあります。

その後、関心は少しずつ別のものへ移り、ねむの木学園は忘れたわけではないけれど、静かな思い出になっていきました。


いま、障害のある人のアートを支える立場として

けれど何年も経ったいま、私は障害のある人のアートを支えるNPOの一員として活動しています。

不思議な巡り合わせですが、私にとっての原点は、あのとき心に残った出会いにあるのかもしれません。


これからお届けするエッセイと活動について

これから月に1回のペースで、NPO法人アートオブザラフダイヤモンズのエッセイやコラムをお届けしたいと思います。

類い稀なるアーティストや作品、私たちの想いや活動について知っていただく機会になれば幸いです。
どうぞ、楽しみにしていてください。

文:若尾尚美 NPO法人アートオブザラフダイヤモンズ アートディレクター